#40 繭から生まれる肌へのやさしさ。
受け継がれて300年、彦根藩お墨付き「山脇源平商店」の真綿とは?

滋賀県の伝統的工芸品に認定されている「近江真綿(おうみまわた)」。古くからこの真綿製造の盛んな地域として知られるのが、米原市岩脇(いをぎ)地区です。最盛期には地域の7割がこの真綿製造に携わっていたものの、現在ではたった1軒のみ。真綿の良さや魅力、そしてさらなる可能性について、この場所で変わらない伝統を受け継いでいる老舗「山脇源平商店」代表の山脇和博さんにお話を伺いました。

 

真綿ってどんなもの?

みなさん、「真綿(まわた)」をご存知ですか?“綿”とついていますが、コットン(木綿)のことではありません。真綿とはカイコの繭を煮て引き伸ばしたもののことで、シルク、すなわち絹製品のひとつなのです。

 

およそ2000年ほど前に日本へ入ってきたといわれる絹と養蚕の技術。日本の主要な産業であった時期も少なくありません。1500年代後半に綿花(めんか、植物としての「ワタ」)が日本でも一般化するようになると、後年、その名前に変化が。従来より“綿”と呼んでいた絹製品に加え、木綿のことも“綿”というようになったため、江戸時代中期の頃からは、“真の綿(ほんとうの綿との意味)”と書いて「真綿」との呼び名が定着するようになったのだそうです。

 

この真綿が特に活躍するのが布団です。真綿を中綿に使った「真綿布団」は人の身体との高い親和性が魅力で、シルクの滑らかな肌触りと保湿力に加え、その軽さと、寝返りを打ってもついてくるほどのフィット感で体をやわらかく包んでくれます。

繭からとれる細かい繊維群が中綿に空気の層を多くつくることで、高い保温性を有しながらも、シルクの吸放湿性の高さから蒸れにくさも併せ持つという優れものに。したがって夏は涼しく、冬は暖かく。オールシーズン快適に眠れるのが、この真綿布団なのです。綿ほこりが出にくく、抗菌・抗酸化作用、消臭作用があるのも嬉しいポイントですね。

 

 

熟練の技が冴えわたる、真綿づくり

「江戸時代の文書の中に『糸取り3日、真綿づくりは1年かかる』と残されとった。こう言うと作る人には『もっと難しいんや』と叱られるかもしれないが、それぐらい簡単じゃないということ」と話すのは、山脇源平商店・9代目の山脇和博さん。

 

のちに屋号となる源兵衛(げんべえ)さんが商売を始めたとされるのが1730年ごろ。まもなく創業300年を迎える山脇源平商店では、当時と変わらぬ製法で真綿の製造を行っています。

 

ここで主に作られるのは「角真綿(かくまわた)」。

まずは、“練り”という作業でカイコのつくる繭を柔らかくします。そしてその柔らかくなった繭を、水中で一つずつ丁寧に引き伸ばし、四角い木枠に4枚ずつ重ねていくのが“真綿かけ”の工程。厚さを均一にすることもさることながら、山から流れてくる冷たい水に浸けながらの手作業であることが何より大変なこと。最後にこれらを枠から外して乾燥させれば「角真綿」の完成です。

 

この日も3名の方が真綿かけに励んでいらっしゃいました。初めは丸い繭を手でゆっくり広げていきます。徐々に引き伸ばしながら、四隅の切り込みにひっかけるようにして薄くしていくのですが、破れそうで破れないのが熟練の技術。うしろが透けて見えるほどの均一な薄さは、まさにプロの手仕事。みなさんの指先の技術にはほれぼれするばかりでした。

 

そして、完成した角真綿を真綿布団にするには、ここからさらに“手引き”という工程が必要です。こちらも熟練の職人のなせる業。風が吹けばクシャっとなってしまいそうなほどの薄さ。2人がかりで息を合わせ、ムラなく均一に引き延ばし、何百回と重ね合わせます。

 

布団の中綿は1枚あたり1~1.5kgほど、また1kgの中綿を作るのに必要な繭はなんと3000個!「1日真綿かけの作業をしても、1人だいたい400gくらい」と山脇さんはいいますから、真綿かけは1人が1日で約1200個の繭を引き延ばしている計算に。そして3人がかりで1日作業したとしても、それでやっと布団1枚分くらいにしかならないということなのです。

ごく微量ずつ、絶妙な力加減の手作業を繰り返し積み重ね、ようやく真綿布団の中綿は出来上がっています。

 

 

岩脇の伝統を守り抜いて

 

ここで山脇さんがおもむろに取り出した1冊の帳面。素人目にも古さが分かる書体でつらつらと書かれた『綿剥屋中掟會帳(わたむきやなかおきてかいちょう)』は、この地域の真綿組合の会帳です。

 

「これがなんでうちにあるかというと、ひとり組合員だから(笑) 本当は村の組合の持ち物なんだけれど、他に誰も組合員がいなくて私ひとり」

こういって山脇さんは笑っていますが、なんと1763年のものなのだそう!これは大変貴重な書物です。

 

岩脇村に真綿組合ができたのは1744年のことでした。おそらくそのころすでに皆が商売をしており、そのため組合ができたのだろうと山脇さんは考えています。米原市の教育委員会の協力を得て帳面を解読したところ、当時の村の真綿づくりの様子や組合規則などが詳細に書かれていました。

「あるおばちゃんが、内職で真綿を作ったらええ手間賃になったからそれが村じゅうに広まった、と。他にも日本には36か所の真綿の産地があり、今も残っている奥州の入金真綿(いりきんまわた)が有名。江戸にも産地がある、ということが書いてある」

 

さらにこの帳面には『無類飛切御免細工岩脇綿』との記載も。他に類を見ないほどに優れた品物であると、彦根藩主・井伊家からお墨付きをもらったことが確かに記されていたのです。

 

署名数から、当時の組合員は69名。地域の7割ほどが真綿づくりをしていたようだと山脇さんは推測します。岩脇村の真綿産業の隆盛ぶりが分かると同時に、現在たった1軒で伝統を守り抜く山脇源平商店の存在がとても貴重であることも認識させられました。

 

 

絹の歴史を紐解く

養蚕の歴史を振り返れば、中国では、少なくとも紀元前3000年ごろにはすでに絹が生産されていたといわれています。その時代の遺構から実際に絹の断片が出土しているのだそうで、5000年の歴史とはなんともすごいことですね。

 

日本にそれが伝わってきたのは、弥生時代後半ごろ。中国の『魏志倭人伝』の中に日本の真綿の記述があり、日本の書物でいうと『古事記』や『日本書紀』の時代から養蚕にまつわる記述が見られるのだそうです。

「だいたい飛鳥・奈良・平安時代ごろが、私が考えるに絹文化が一番栄えた時期やと思うんです。聖徳太子の『十七条の憲法』の十六番目でも養蚕をするということが言われている。遣唐使や遣隋使の給料なんかも絹や真綿でした」

 

しかしながら鎌倉時代以降しばらく、絹や養蚕の記載は文献や書物からほとんど出てこなかったそうで、次に文献にあらわれてくる江戸時代には、もうすっかり絹の確保の大部分を中国からの輸入に頼るようになっていました。

「東インド会社の帳面から分かったのは、絹糸を買うため、100年間に国内で採掘した金の4分の1、銀の4分の3が国外に輸出されていたこと。要するに、絹ばっかり買っていたというわけ」

 

 

幕府はこれを受け輸入を制限、享保の改革によって輸入品の国産化を奨励しました。結果的にこの政策が国内での養蚕を加速させることとなり、日本の絹産業の基礎がつくられていったのです。

歴史で学んだ事柄が絹とこんなにかかわっていたとは…。大変勉強になりました。

 

 

真綿づくりを続けるための取り組み

そもそも真綿は副産物なのだといいます。

「養蚕をして自分たちで糸取りをして絹問屋に売るのが、農家さんの現金収入。そして糸にできなかったような綿や繭を、日本中の製糸工場や農家さんから集めてきてつくるのが真綿。私らの子供時分、昭和30~40年ごろもそうでした」

 

それが今では養蚕技術が向上し、そういった繭はほとんど出なくなったそう。それゆえ、真綿製造のためにちゃんとした繭を手に入れる必要が出てきたので、山脇源平商店では2021年から自社で養蚕を開始することにしました。今では近辺に習う人もないという環境下でのスタート。全国的に、養蚕は近年急激な衰退にあるようです。

「平成元年ごろに57000戸あった日本の養蚕農家は、2023年には146戸。ここ最近は前年比13~14%ずつ毎年減ってきている。ということは、このままならあと5年でさらに半分になってしまうやろうね」

 

若手養蚕農家を募集するような地域もあるそうですが、作る会社がほとんどなく、肝心の道具(機械)がなかなか揃わないといいます。山脇さんが養蚕を始めたときには道具をもらいに埼玉まで行ったほど。未経験者が参入するにも難しい状況となっており、「道具がなければ手も足も出んからね」と山脇さんは話します。

 

質の高い国産繭の生産量減少は、真綿産業にとっても苦しいものです。そういった厳しい環境であるからこそ、真綿づくりの伝統を受け継いでいくため山脇さんは養蚕を始めました。一から技術の勉強をし、今では年間めいっぱい稼働して乾燥繭で550kg、真綿にして200kgほどを生産します。

加えて、大手布団メーカーに対しては黄色い繭、抗菌性のある繭、極細の繭などさまざまな繭を提案。多くの人に真綿の魅力を知ってもらいたいという想いで、山脇さんはいろいろな切り口から新しいことに取り組みます。

 

 

繭から生まれた化粧品『まゆの華』シリーズ

「伝統産業だからといって同じことばかりしていてもだめ。それが化粧品にもチャレンジする理由」

そう話す山脇さんが化粧品事業に参入したのは、養蚕開始と同じ2021年。繭に含まれるセリシンという成分に角質層水分量増加や保湿作用があることから、その成分を利用した『まゆの華』シリーズをリリースしています。化粧品会社とタッグを組んで揃えたラインナップは、ハンドジェル、シルク美容石鹸、保湿化粧水、美容液、乳液など種類も豊富です。


 (写真提供:山脇源平商店)

 

「セリシンは、昔は全部捨てていた成分なんやけれども、こういった効能があるのでぜひ利用できるようにと。それに、ここで作業をしてくれるおばちゃんたちがいつも言うのは『仕事に来ていると手が綺麗。でも休みが続くと手が荒れる』と(笑)」

肌への浸透性が良いとも言われるセリシン。真綿づくりに携わる方の手が綺麗だということも、なるほどうなづけます。

 

化粧品とは異なりますが『洗顔角まわた』もオススメ。真綿そのまま、絹100%でできた、肌に優しく皮膚が突っ張らない洗顔用シートです。

 

養蚕を始めたことで広がった新たな商品のかたち。真綿をもっと身近に、養蚕をもっと身近に。山脇さんは、伝統産業のことを多くの方に知ってもらいたいとの想いで展開します。まずは『まゆの華』から、シルクの良さに触れてみるのも良いかもしれませんね。

 

 

真綿の魅力を体感してみよう!

 

山脇源平商店では、実際に伝統産業に触れてみる体験プログラムも用意されています。繭を引き延ばす真綿かけや手引き体験に山脇さんから伺う真綿文化のお話、また養蚕期には桑畑での桑取りや繭づくりの見学も。

 

「西日本は養蚕農家があまり多くないので、興味がある方の受け皿になれるのではないかと。観光で一筋の光を当てられれば」と山脇さんは話します。

体験予約は山脇源平商店公式ホームページから、滋賀県のコンテンツ『シガリズム体験』を通じた受付を行っています。問い合わせは電話でもできるそうです。

 

山脇源平商店の真綿布団は、米原市の良いものを取り扱うwebサイト「オリテ米原  -米原市特選品市場-」でも紹介されています。職人が手作業でていねいにつくり上げる、快適な最高級布団を試してみたい方はぜひサイトを覗いてみてください。

 

とにかく勉強熱心な山脇さん。今も、全国各地の視察や情報収集に抜かりはありません。

角真綿を製造する事業所が少なくなるなか、ここで守り続けるもの、また新しい価値を見出すもの、「山脇源平商店」はこれからもさまざまなアプローチで上質な真綿づくりの歴史を紡いでいきます。

 

Information

山脇源平商店

滋賀県米原市岩脇1011-1Google Map
定休日:土曜・日曜・祝祭日
営業時間:8:30〜16:00
TEL:0749-52-0076
※見学をご希望の方は要問い合わせ

ホームページ

 

※上記は2024年4月1日現在の情報となります。

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