#31 百年モノのヴォーリズ建築。
旧邸宅の面影を残した「十人十家 Vories Cafe&Bar・Art Lab」
ヴォーリズが1905年に来日して以降、日本各地で設計された彼の西洋建築物は「ヴォーリズ建築」として知られ、その数は1400棟にものぼると言われます。彼が生涯の活動拠点とした滋賀県近江八幡市にある「十人十家 Vories Cafe&Bar・Art Lab」もその中のひとつ。
建築デザイナーの田中涼さんは旧邸宅であったこの建物を改修し、自邸として住まいながら、2021年7月30日には1階部分でカフェ&バー兼建築デザイン事務所を開業しました。田中さんはどんな想いをもって、ここを店舗としてオープンすることにしたのでしょうか?
ここは飲食店?建築事務所?…どっちもです!
1924年にヴォーリズによって設計されたこの住居は“旧パーミリー邸(※)”と呼ばれてきました。それからおよそ100年後、2019年に新たなオーナーとなったのが建築デザイナー・田中涼さんです。
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※ ハリエット・フランシス・パーミリーはアメリカ人宣教師。来日後は英語教師をする傍ら、同志社女学校(のちの同志社女子大学)の立ち上げにもかかわった人物として知られる。
オーナー・建築デザイナー 田中 涼さん(写真提供:十人十家)
改修のコンセプトがそのまま店名となった「十人十家(じゅうにんといえ)」。設計時はいつもコンセプトを決めてからデザインを考え、これまでの建物にもひとつずつ名前が付いているという、田中さんのこだわりと想いが詰まったネーミングです。
「まず、ヴォーリズさんがキリスト教の伝道に尽力していたことから、十字架の“十”を入れたい、と。そして、十数年この仕事をしてきた中で一度原点にかえる気持ちで『住む人と家のことを改めて考えてみよう』と思い、“住人と家”→“じゅうにんといえ”です。もうひとつは、“顔が違うように個性も人それぞれである”というヴォーリズさんの教えを頂戴し、十人十色にもかけて『十人十家』となりました」
「十人十家 Vories Cafe&Bar・Art Lab」外観(写真提供:十人十家)
ベースとなるのは“Cafe&Bar”。昼はランチ、夜はお酒を飲みながらイタリアンを楽しむことができ、メニューもあえて昼夜で統一されています。メインとなるパスタは、淡路島から仕入れた生パスタにこだわります。野菜は地元産を使うことが多いそうです。
「レトロな空間なので、昔ながらの雰囲気、食べ物でいうとナポリタンであったりとか。おっちゃんおばちゃんが懐かしさを感じるようなメニューを提供しています」
もっちりとしたパスタは絶品!そしてプリンアラモードにクリームソーダ。純喫茶で出てきそうな、このフォルムがたまりませんね…!
またバーとしてのお酒のメニューも豊富です。近江八幡でつくられるビールや長浜のウイスキー、滋賀県のワインなど、地元のお酒もラインナップ。ときには田中さんが気に入ったお酒がそのまま並ぶこともあるそうですよ!
一方で、飲食を営業していない時間帯は建築デザイン事務所の出番。この飲食スペースをそのまま活用します。
「普段の昼ならランチを食べるこのテーブルで、お客さんと設計の打ち合わせをしています。それと、これはまだあまりできていないのですが、アートギャラリーみたいな雰囲気にしたいというのもありまして。個展ではないですが、毎月どんどんと作品が入れ替わるような形が面白いかなと思っています。そのイメージがあるからこその“Art Lab”でもあります」
こだわりの詰まったテーブル席(写真提供:十人十家)
メニューを教えてもらうと「ここら辺が食べ物、そしてお酒ですね。…で、急に建物のメニューになっています(笑)」とほほえむ田中さん。こうして時折“Art Lab”が顔をのぞかせるところがこのお店の特徴ともいえそう。昼から夜にかけ顔を変えながら営業する、それが「十人十家」です。
楽しい出会いのあるコミュニティとして
改装前の外観(写真提供:十人十家)
旧パーミリー邸を取得するまでのことを、田中さんはこう話します。
「パーミリーさんのあとは、ヴォーリズ建築事務所の設計士さんが長年住まわれ、老朽化が進み維持管理の難しくなったところで売りに出されました。そのタイミングでは、ヴォーリズ建築の保存活動に携わる建築家の方が買われたのですが、残念ながら改装前に急逝され、やむなく手放されることに。そこでたまたまご縁を頂いた僕が購入させて頂くことになりました」
その建築家の方が生前に掲げていた構想こそが『修繕後は建物の2階を建築事務所に、1階は地域のためにコミュニティの場として開放したい』との考え。その意志を継いだのが田中さんであり、それを改修後の「十人十家」で実現したというわけです。
実際、カフェ・バーとしてのお客様には、地域住民の方、SNSやスマホ検索を頼りにお越しになる観光客、建築ファンの方、それぞれいらっしゃるといいます。
「特に土日は、観光客の方に多く来て頂きますね。近江八幡は県有数の観光スポットがあるので、そういった方の観光前後のランチ利用が多いです。あとは、やっぱりヴォーリズ建築ファンの方は全国にいらっしゃるので、そういった方が休憩がてらに来て頂くこともあります。東京からもいらしてましたね」
年齢の幅が広いことも特徴的だといい、下は高校生から、上はなんとヴォーリズさんに会ったことがあるという80歳を超える方まで!
「カウンター席に座って、仲良くなってしゃべってというようにお客さん同士の交流が進んで、地元の方と観光客が触れ合ったり。コミュニケーションの広がる場に、ここがなれれば嬉しいです」
「『あそこに行けば誰々さんがいて面白いし行こうか』とか、『ここで出会った人とこうなって…』などということを聞くことができれば、それもまた嬉しいですし。徐々にそういう場所になればいいですね」
ヴォーリズ建築に触れるもよし、このコミュニティを楽しむもよし。まさに、十人十色の出会いや楽しみが期待できそうです。
家にいるだけで心が動く『感動産』をつくりたい
建築デザインをするうえでなによりも住みやすさを重視する田中さんは、“絶対こんな家が良い”という考えはあえて持たないようにしています。“設計士の色”や“設計士の好きなデザイン”など、ある種の制限をなくし、お客さんに合わせた柔軟な提案ができればとの想いからです。
デザインラフ図面(写真提供:十人十家)
建築のモットーは、“『不動産』を『感動産』に!”。
「どこか冷たい感じもして、不動産という言葉が実はあまり好きではなかったんです。感動がうまれると書いて『感動産』。家にいると感動する、心が動く、そんな家を作れたらなといつも考えていますね」
最近はお客さんの要望もすごく細かいのだそう。そう言って苦笑いを浮かべる田中さんですが、「でもね…」と続けます。
「それをいい意味で裏切りたいなと。SNSの施工例などを示しながらこんな感じで、というお話も多いです。完成したときに『想像以上に良かった』『画像よりもおしゃれになった』などと言ってもらえると気持ちいいですし、家を見て喜んでもらえることが単純に嬉しいですね」
田中さんがデザインすれはこんな素敵なお家に…!(写真提供:十人十家)
家にいるだけで感動がうまれる―。『感動産』という言葉には、日々の暮らしそのものが豊かであるべきという素敵なメッセージが秘められているように感じました。その言葉とともに、田中さんは今日もお客さんひとりひとりのオーダーに向き合います。
ヴォーリズの快適性を受け継いだ、田中デザインの改築術
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ [William Merrell Vories] (写真提供:公益財団法人近江兄弟社)
24歳で日本に渡ったヴォーリズは、キリスト教伝道活動をしながらも多くの肩書をもって生涯にわたり活躍した実業家でもあります。輸入業、医療、教育、文化事業、はたまた音楽まで、その功績は留まるところを知りません。
これら事業は彼の主義に基づいた、どれも人のためになるようなものばかりであり、建築に関してもその素晴らしさが詰まっていると田中さんは語ります。
「やさしいなと、住んでから特に思います。昔の建物であれば階段は急だったりするものですが、ヴォーリズさんは緩やかな設計をしていました。窓にしても、子どもの目線で外の景色や空が見えるくらいに低くされていますし、光の入り方しかり、ちゃんと考えてあるんだなと改めて思います。それを最近でなく100年前からしていたということにすごさを感じますね」
古い建物や古民家が好きだった田中さんですが、ヴォーリズ建築に携わることは想像もしていなかったそうです。偶然出会った旧パーミリー邸は、建築デザイナーにとって憧れの建築物でした。
「駐車場に飲食スペース、なおかつ住居兼店舗というイメージだったので建物のボリュームも必要という条件で数年間ずっと探していたところ、たまたま目に留まったのがこの物件でした。見た瞬間に『これがいい!』という感覚はありましたね。“築100年”と書いてあり雰囲気も古い感じ、なによりヴォーリズ建築であれば良い建物だろうと思い、決めました」
かたや、ヴォーリズ建築を改修することには葛藤やプレッシャーも。雰囲気が好きで、価値も分かるだけに悩むことも多かったそう。
「建築士としてはるかに立派なヴォーリズさんが設計した家を触るということですから。でも単に修復をするだけでは僕がやる意味がないなと思って、十数年建築をやってきた今だからできる自分のデザインで、雰囲気を残しながらの全面改装としました。快適性や住みやすさを重視していたヴォーリズさんだったら、それも許してくれるかなと(笑)」
改装中の様子(写真提供:十人十家)
修繕して、地域の方のコミュニティの場として開放する。田中さんの想い、そして前所有者であった建築家の方の想いを実現するため、今回重視したデザインやポイントはどんなところだったのでしょうか。
「オリジナルの雰囲気を重視したので喜んで頂ける方は多いです。ファンの方からも、ヴォーリズ建築を残し、守ってくれて嬉しいと言われることがありますね」
特徴的なドアノブや建具はできるだけ当時をそのままに。暖炉や玄関にあるベンチも変えず。間取りも極力触ることなく、扉については新しいものは一切作っていないそうです。また、食器棚として使っている水屋箪笥は新しい設置場所に合うよう一度ばらしながらも、引き出しや扉をそのまま使うために枠組みを再構築した、という工夫が凝らしてあります。
「内装のテーマは、和洋折衷を意識したものです。だからこそレンガがある奥に欄間が見えたり、洋風の建物なのに和風の網代天井を取り入れたりしています。ちなみに欄間は近江八景をテーマにしたデザインなんです」
“十人十色”のイメージから、椅子のデザインはあえてバラバラに。一枚板のテーブルにアンティーク風の調度品、そして「営業中はいつもこれ」という和服の田中さんのいでたちからも、このレトロな雰囲気をさらに引き立てるこだわりが存分に感じられました。
衣・食・住、そのすべてを「田中涼デザイン」で
「高校からの進路で調理師になるか建築士になるかをすごく悩んだくらい、どちらにも興味がありました。結局は建築士を選び、工務店で10年くらい勤めていましたが『やっぱり飲食店もやりたい』との想いがあったので、思い切って独立することを決めました」
建築しかしていなかったところから、徐々に飲食の仕事の割合を増やしていくイメージでスタートしたという「十人十家」。最終的に田中さんが60歳や70歳になったときには飲食だけになるようなつもりだったようですが、思っていたよりも変化は早いのだといいます。
「有難いことにたくさんのお客さんに来て頂いて、1年半でもう実は半々くらい。お客さんが来てくれると営業時間を伸ばしてみたり、日々勉強ですね」
調理師の資格は独学で取得したという田中さん。興味のあった建築デザイナーと調理師をともに実現し両立させているだけでもすごいのですが、さらなる構想には唸りました。
「もうひとつ、アパレルもやってみたいですね。というのも、もしこれができれば人間が必要な“衣・食・住”の全てが達成できるなと(笑) 2023年のうちにはなにかしら形にしたいですね。この3つの分野で、『田中涼がデザインしたらこんなんや』というのを見せていけたらなと思っています」
むむ…これはすごい。言葉が足りていませんが、すごいです…!
快適で、楽しさもあって、心をも動かしてくれる。100年の時を超えるヴォーリズ建築「十人十家」は、いくつものエッセンスをミックスさせた現オーナー・田中涼さんがつくる、豊かな出会いの場所でした。
「やりたいことが多すぎて全然追いついていないんですけど(笑)」という田中さんに、これからもぜひご注目ください!
Information
十人十家 Vories Cafe&Bar・Art Lab
滋賀県近江八幡市土田町819-7(Google Map)
営業時間:[月・火]18:00~22:00、[金・土・日・祝]12:00~22:00
定休日:水曜日・木曜日
TEL:080-9290-5278
※上記は2023年7月1日現在の情報となります。