#25 どうやってびんの中に?丸くて愛らしい「びん細工手まり」
愛荘町で育まれてきた縁起物に会いに行こう。

日本に古くからある、子どもの玩具である手まり。ひと針ひと針刺すことで出来上がる幾何学模様は、百個あれば百通りの模様が生まれる唯一無二のものです。なんと滋賀県愛荘町では、この手まりをびんに収めた「びん細工手まり(以降、びんてまり)」が、江戸時代に伝えられたそうです。他にはない美しさで、静かに注目を集めているびんてまりは、この町でどのように作られてきたのでしょうか。

 

 

ガラスびんの中に入った、びん口よりも大きい手まり

「こうやってこうやって斜めにさしていくの。手で覚えているから、口ではうまく説明できないわ」

 

慣れた手つきを見せながら、土台となる丸い手まりに針を刺していく女性。複雑な技術をいとも簡単にササッとこなしていく姿は、まるで手品のよう。ご年齢を伺うと御年86歳。愛知川びん細工手まり保存会のメンバーで、びんてまり歴約30年という方でした。

 

丸いガラス瓶の中に、細やかな刺しゅうを施した手まりを作りこんでいくという、時間と技術が織りなす色鮮やかな美しさ…。

 

びんてまりは、滋賀県愛荘町の伝統工芸品。2011(平成23)年には、県の伝統的工芸品に指定されました。愛荘町民のみで構成される「愛知川びん細工手まり保存会(以降、保存会)」の約80名のメンバーにより、作り続けられています。(※)

 

愛荘町は、愛知川と宇曽川に囲まれた豊かな自然環境に恵まれた小さな町。江戸時代には中山道の宿として栄えました。古代、渡来人である依智秦氏がもたらした機織の技術など、さまざまな要素が重なり合って、近江上布や近江刺繍という染織文化が育まれてきました。暮らしの中にも手仕事が多く受け継がれており、この地域で嫁入りする際に持参する米袋や打敷などにも、豊かな感性が息づいています。

※2023年3月現在

 

 

地域の秘伝、びんてまりの作り方

秘伝であるびんてまりの作り方。保存会の現役メンバーである東早苗さん、辻史子さん、杉本和枝さんの3人に、作り方を伺うことができました。一体、びん口より大きな手まりを、どうやってびんの中にいれるのでしょうか?

 

「ひもをぐるぐる巻いて球体をつくってから、それを土台にして、刺繍をしていきます。手まりが完成したら、中のひもをいったん抜き取ります。空洞になった手まりを畳んで、びんの中に入れて、びんの中で綿を詰めて丸い形に整えていきます」

 

複雑な刺繍がほどこされた手まりを一旦崩して、再度、びんの中で元の球体に仕立てるという手間のかかる工程。糸の引き加減や丸くするための綿の固さ調整は、体と手が覚えるもの。数をこなしていくことで少しずつ感覚を掴んでいったといいます。

 

「膝を使ったり、糸を強く引いたりなど、作り方の癖は個人それぞれ少しずつ違うから。自分のやり方をみんなそれぞれに見つけていくの」

 

刺繍の柄も、まずは基本的な菊の形からスタート。菊がうまく作れるようになると、色を変えたり、花びらの大きさを変えたりと少しずつアレンジを加えていきます。手まりの大きさや花以外の柄など、作り手の創意工夫が十分に生かされるところが面白さの秘訣です。

 

 

愛荘町で育まれた、 謎の多い「びんてまり」の今昔物語

 

「びんてまりは『丸くて(家庭円満)、中がよく見える(仲良く)』と、新築や結婚祝いに贈る縁起物として用いられてきました」と町立愛知川びんてまりの館の学芸員である小川亜希子さんが教えてくれました。

 

大きな手まりがフラスコ型のガラスびんに封じ込められた、美しくも不思議な工芸品。びんてまりの伝承経路は、謎に包まれているそうです。

 

「愛荘町には、江戸時代の終わり頃、近江商人の家から嫁いだ女性が嫁入り道具として持参したと伝えられています。明治20年代、国内でびんが量産されるようになり、愛荘町でも中山道沿いにガラス製品を扱う商店が開業し、びんてまり用のびんも販売していたそうです。」

 

明治時代に、青木ひろさんという女性が町内の裁縫塾でびんてまりの作り方を習いました。多くの生徒が通う中、師匠はひろさんにだけ作り方を教えたそうです。昭和に入り、戦争や高度経済成長という時代を経て、びんてまりは次第に忘れられていきますが、ひろさんは一人コツコツとびんてまりを作り続けていました。昭和40年代には、ひろさんは全国でも希少なびんてまりの作り手となっていたそうです。

青木ひろさん(写真提供:愛知川びんてまりの館)

 

 

愛荘町で最後の作り手といわれた青木ひろさんが亡くなってから、びんてまりの保存を求める声が地元住民からあがります。町の教育委員会の呼びかけで、19人が集まり、1974(昭和49)年に保存会を結成しました。

しかし、いざ作ろうと思っても、作り方がわからない…。そこで白羽の矢が立ったのが、ひろさんのびんてまり作りを見守ってきた夫の甚七さんでした。甚七さんの記憶をたよりに、保存会のメンバーが、試行錯誤しながら、作り方を再現したそうです。

 

 

保存会のメンバーによって広がった創意工夫

この美しい工芸品を守りたい!という想いから見事に復興を果たしたびんてまり。

青木ひろさんが好んで作っていたという手まりの模様は、保存会の人によって『愛知川てまり』と命名されて現在も引き継がれています。現在ではこれに応用を加え、独創性に富んだ手まり模様がどんどんと生まれています。

 

取材に伺った12月は、ちょうど年に一度の「びんてまり展」が開催されていました。展示数は約500個。作り手の感性が反映された手まりの模様を見ていると、なんとも言えない愛おしい気持ちになります。

 

どれもこれもかわいい子どもみたいなもの。大切な人に贈ります

 

自分たちのものだから、思いをこめて作ってます

 

作ったら家に飾ります。でも、つい人にあげてしまって、気がつくと数が減っていたりします

 

と、保存会の3人が嬉しそうに話してくれました。

 

びんてまりは、大切な縁起物。販売用として依頼によるものではなく、自主的に作っているもので、地域に根ざしている手仕事文化です。一度消えた文化が語り継がれて、さらに進化しながら、地域で静かに伝承されているというこの流れに尊さすら感じます。

 

 

地域に残る手仕事を、地域で育んでいく

保存会の発足当時から続いている、月に1度の活動。20代〜80代のメンバーが公民館で集まって教え合いながら、いつもわいわいと行われています。「世間話に花を咲かせつつ、ついでにびんてまりの話をしている感じ(笑)ストレス解消ね」。どうやら今や地域の大切なコミュニケーションの場になっているようです。

 

保存会に属さなければ、びんてまりを作れないことは特徴のひとつです。それは秘伝として大切に受け継がれてきたから。そしてこの保存会は、愛荘町の住人でなければ入ることができません。

 

地元の中学校では、1996(平成8)年から2010年(平成22)まで、選択授業にびんてまりが取り入れられていました。青木ひろさんのことは小学校の副読本でも紹介されています。学校でびんてまり作りを習った子どもが成人して、保存会のメンバーに加わることもあるのだそう。現在も、夏休みには小中学生を対象にした教室が開かれ、若い世代にびんてまりの技術を伝えています。

 

「25歳の頃、母が作っていたのを見ていたから」「昔から見慣れているものだから」「びんてまりを初めて見てこんな美しいものがあるのかと思って作りたいと思った」と先の3人は入会の動機を話してくださいました。

 

びんてまりの魅力はその工芸品としての存在だけではなく、愛荘町で育まれた文化と重ねてこそ魅力が増します。だからこそ、この地域で暮らす人が作っていくことに意味があるのかもしれません。

 

「作り始めたら楽しくて、寝るのも惜しいくらい。次はどんな形にしようか考えるとワクワクします」。そういって、びんてまりの魅力を話してくれた保存会のみなさんの楽しそうな表情を見るだけで、愛荘町という土地の風土を感じられました。

 

「愛知川びんてまり館」と近江鉄道「愛知川駅」の新駅舎「るーぶる愛知川」で、実際のびんてまりを目にできます。江戸時代から令和まで、愛荘町の方々が暮らしの中で受け継いできたびんてまりを通して、愛荘町という土地柄に触れてみてください。

 

Information

愛荘町立愛知川びんてまりの館

滋賀県愛知郡愛荘町市1673Google Map
営業時間:10:00〜18:00
休館日:月曜日・火曜日・祝日・最終水曜日、年末年始、特別整理期間
TEL:0749-42-4114

ホームページ / Facebook

 

※上記は2023年5月1日現在の情報となります。

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