#64 「どれにしようかな?」信楽のチーズケーキ専門店TORASARUが大切にする、選ぶ味わい。
信楽といえば、まず思い浮かぶのは焼き物やタヌキの置物かもしれません。けれどこの町には、もうひとつ、静かに愛され続けてきた名物があります。ギャラリーカフェ「TORASARU(トラサル)」のチーズケーキです。
陶芸の森やMIHOミュージアムへ向かう途中、山あいの道の脇にふと現れるこの店は、2002年のオープン以来、20年以上にわたって信楽の日常と、訪れる人の時間をつないできました。ショーケースの前で迷う時間、コーヒーとケーキの相性、器や空間との調和。そのすべてを「組み合わせ」として捉えて、丁寧に積み重ねてきた場所です。
京都ではなく、信楽で“どっしり”構えると決めるまで

信楽高原鐵道・信楽駅から近江グリーンロードを車で約3分。少し坂を登る道に進むと、TORASARUが見えてきます。この店を営む副島龍さんの原点は、大学時代に通っていた京都・北山のカフェ「cafe Doji(カフェ・ドジ)」にあります(現在は閉店しています)。

当時は学生だった副島さんにとって、少し敷居が高く、独特の緊張感が漂う場所でした。日常から切り離されたような、その「特別さ」に強く惹かれたといいます。「非日常な感じに憧れていました。こんな場所を、自分でもつくってみたいと、いつしか思うようになっていたんですよね」と副島さん。

当初は京都での開業も考えていましたが、転機となったのは、珈琲に携わってきたオオヤコーヒー焙煎所(KAFE工船)のオオヤミノルさんの言葉でした。「絶対、こっちや。地元でどっしりやる方がええ」。
今でこそ地方で店を構えることはひとつの選択肢として語られますが、当時はまだ「地方創生」という言葉も一般的ではありませんでした。

その言葉が心に残り、実家を改装してカフェを始める決断をします。とはいえ、最初から順調だったわけではありません。90年代のカフェブームの影響を受けた内装でランチも提供していましたが、1週間の売上が2000円ほどという時期もありました。それでも、同級生の作家が器を作ってくれたり、周囲の助けを借りながら、店は少しずつ続いていきました。
「チーズケーキだけでいいんじゃない?」転機となった一言

開業から約10年が経った頃、経営や店の方向性に迷いが生まれていました。そんな時、草津でカフェを営む知人から、ふと投げかけられた一言があります。「チーズケーキだけでいいんじゃない?」
当時のTORASARUは、ランチを含め、多くのメニューを抱えていました。これまでもずと、今もメニュー開発から調理まで、すべてを一人で担当している副島さん。しかしこの言葉をきっかけに、副島さんは大きく舵を切ります。ランチをやめ、チーズケーキに特化するという決断でした。
最初はベイクドとレアの2種類のみ。けれど次第に、「選ぶ楽しみ」そのものが体験になることに気づいていきます。ショーケースの前でお客様が「どれにしようか」と選んでいる時間の様子が、記憶に残っていたのです。


「もっと迷わせますよ、っていう感じですね」と笑う副島さん。定番のベイクドチーズケーキに加え、カッテージ、チョコレート、キャラメル、ゴルゴンゾーラレアなど、常時20種類ほどが並ぶようになりました。冬の閑散期は新作づくりの時間。毎年、少しずつケーキの種類は増え、いつしか数えきれないほどに。こうしてTORASARUは、少しずつ“チーズケーキの店”として知られるようになっていきました。

素材を「設計」する。TORASARUのチーズケーキ
TORASARUのチーズケーキは、感覚だけで作られているわけではありません。副島さんが大切にしているのは、「味・食感・見た目」の三要素です。そのすべてを、空間や家具と同じように「組み合わせ」として捉えています。
ひとつのケーキに使うクリームチーズは約4種類。柔らかいものから硬いものまで、日本のリュクス、ニュージーランド産、アメリカ産などを使い分け、目指す食感に合わせてブレンドします。工程が複雑になるほど失敗のリスクも高まりますが、それでも新しい素材や組み合わせへの挑戦はやめません。

印象的だったのが、「朝宮抹茶バスクチーズケーキ」に使われる抹茶の話です。畑の管理から生産、販売までを一貫して行う、このエリアで採れる朝宮茶の抹茶のみを使用しています。「作り手の顔も知っていますし、お茶は美味しいし、もうそこしかなくって」。素材の背景まで含めて味を選ぶ姿勢は、TORASARUのものづくりをよく表しています。
取材時にはベイクドチーズと朝宮抹茶レアチーズとラズベリーバスクチーズのケーキをいただきました。ふわふわと軽い食感のものから、しっかりとした密度を感じるものまで、チーズの特徴に合わせて表情はさまざまです。思わず「美味しい!」とフォークを持つ手が、あちこちとお皿を行き来してしまいました。


コーヒーもまた、20年間変わらずオオヤコーヒー焙煎所の深煎り豆を使用しています。甘さやコクのあるチーズケーキに寄り添う味わいを最優先に選ばれてきました。結局選びきれなかった心残りのあるケーキはテイクアウトして自宅で楽しむことに。この流れを経験している人は、きっと多いのではないでしょうか。
信楽で店を続けるということ、これからのTORASARU

TORASARUにはギャラリーも併設されています。並ぶのは、信楽焼の作家をメインに、副島さんが「確かだ」と直感的に魅力を感じた作品たちです。人気作家の作品も置かれており、そこには長年築かれてきた、副島さんと作家の信頼関係が垣間見えます。


20年という時間の中で、TORASARUはいつしか、正月に帰省した地元の人が家族と立ち寄る場所になってきました。年末にはこの土地を離れた知人たちがふらりと立ち寄り、自然と会話が弾みます。副島さんが最初から目指していたわけではありませんが、時間とともに、自然な使われ方が生まれていきました。
副島さんは、行政主導の画一的な「町おこし」だけではなく、個々の店が「わざわざ足を運ぶ価値」を持つことが、結果的に町全体の魅力につながると考えています。そのなかで、チーズケーキが「信楽のお土産」として認知され始めていることは、新しい信楽のイメージを形づくる動きとも言えるでしょう。「最近は、信楽にこんな店があるんだよ、と誇れる存在でありたいと思うようになってきました」

空間づくりも同様です。アンティークと新しいもの、きっちりしすぎないバランス。少し崩すことで生まれる、家に帰ってきたような居心地。その感覚は、ケーキと器、コーヒーとカップの関係にも通じています。
「実はね、これからは、もっともっとケーキを極めたいんです」。そう笑いながら語る副島さんの言葉は、20年以上積み重ねてきた時間の先に、まだ続きがあることを静かに示していました。



Information
TORASARU
滋賀県甲賀市信楽町勅旨1970-4
営業時間:11:00〜18:00
定休日:水曜日
TEL:0748-83-1186
公式サイト/http://www.torasaru.com/
SNS:@torasaru_official @torasaru_cakes