#62 小さな村で受け継がれてきた「小原かご」。
伝統技術をつなぐために今必要なこと
その昔、産業が発達する前の時代では、生活するうえでカゴはかかせないモノでした。自分自身の手でカゴを作るのが当たり前だった日常。今ではカゴを使用する機会も減りましたが、長浜では今も現代に色を合わせながら伝統技術が受け継がれています。そんな小原(おはら)かごの魅力にせまります。
小原かごの歴史
「福井県との県境、奥丹生谷(おくにゅうだに)という地区に昔はいくつか村がありまして。そこが、小原かごの元々の生産地なんです。」
そう話すのは、荒井恵梨子さん。現在、複数の仕事をしながらも、小原かご作りの職人として製作・販売をされています。

「奥丹生谷の村はほとんどが廃村になってしまって無いんですけど、雪がとても多い地域で昔から生産されてきたカゴです。小原かごって言われるようになったのはホントに最近のこと。『小原』というのは村の名前で、他の村でも生産していましたが小原村が一番生産数が多かったので、小原かごって言うようになったんです」

小原かごの記述がある一番古い文献は1700年代のもので、その歴史は少なくとも300年近く。生活する中で長く地域で重宝され続けてきたカゴであることがわかります。
長浜は養蚕が盛んで、桑摘みのために大きいツボカゴがよく使われていたそうです。最盛期には、年間1つの村で約3000個もの数を、小さな村で生産していたという記録が残っています。

そんな小原かごの特徴は、モミジやイタヤカエデといった広葉樹の幹の中身部分を使うこと。
カゴと言えば『竹』をイメージする人もいるのではないでしょうか?
実は竹が日本に入ってきたのは中世以降という説もあり、それ以前は木の蔓や樹皮が使用されたカゴが主流だったそう。

「木のカゴは、日本でも昔から山奥の小さな村とかで作られてきたんですけど、今も残っているのは秋田県と滋賀県だけ。たった2か所しか生産してる所がなく、カゴ作りの技術そのものがほとんど残ってないということが最近分かったんです。」
荒井さんが小原かごと出会った時点で、すでに作ることのできる人はたった1人しかいなかったといいます。その技術が限られたものとなっていることを、まさに感じるエピソードです…。
小原かごが出来るまで。自然の環境も知ってほしい。
木で作られている小原かご。竹で作られるものとはどういった違いがあるのでしょうか?

「材料が採取しやすく加工もしやすいので、日本の中でもカゴは竹の方が圧倒的に多いんです。どちらがどういいかというのは明確には言えないんですけど、耐久性は木製品のほうが高いので木カゴのほうが圧倒的に長く使うことができて、非常に丈夫です。」

実際に触ると、とても硬く、ぐっと押した程度ではビクともしません。かと言ってカゴ自体に厚みがあるわけでもない。耐久力があるのに納得です。なんと古い物だと100年以上経っても平気で使うことが可能なのだとか!
そして小原かごは耐水性もあります。使用した後にしっかり乾かせば丸ごと水に浸かっても壊れることはないそうです。実際そういった使い方をするカゴもあったそう。
そんな小原かごの作り方…荒井さん自身で、山に入って木を採取するところからスタート!


(提供:荒井木籠製作所)
「まず山に行って材料を目利きするっていうのが、技術の中で1番大切なんです。作り方を知っていても、良い木を手に入れないと作ることができないので…。使える材料の基準がかなり厳しいので、使えるかどうかを自分で判断する必要があって、その技術は難しいなと思いますね」
カゴで使用する木がこれからも採取できるようにと、将来の事も考えておられる荒井さんは、自ら木の芽を育て山に苗木を植えられています。

「カゴのこと、もっと知ってほしいと思うんですけど、それと同じぐらい材料を採取する山の環境っていうのが、物凄く大切で」と荒井さんは続けます。

近年、鹿が増えている関係から山の環境が変化してるそうで、その影響はカゴ作りにも及んでいます。
カゴには樹齢約10年〜15年の若い木が使用されており、一度切るとそこからまた新しい芽が出て、約10年後に育ち、また採取できるというサイクルができていました。しかし現在は育つはずの新芽を鹿にかじられてしまい、次の採取が難しい状況にあるのだそう…

「山の奥まで木を保護しに行くのは現実的に難しいので、もう少し手入れがしやすいエリアに木を植えたりとか、材料を育てることもしています。カゴのことを知ってもらうと同時に山の環境にも関心を持ってもらうきっかけになるといいなって思っています。」
とても大事なことではありますが、買う人の目線からしたら中々そこまで考えられない部分。お話を聞いて思わずハッとしました。

「最近ホント、クマも多いです。私もこの間山で見ましたし…距離があったのでそーっと逃げて気付かれずに帰れましたけど(笑) すぐにクマスプレーを買いました。」
…難しい理由は他にもありそうです。
小原かごが出来るまで。カゴにするまで。
カゴのバリエーションは約15種ほど。今も作られている形となると数種類に絞られます。現代に合わせて使いやすい形を荒井さんは模索されています。

木の採取は秋冬頃。紅葉した葉っぱが落ちる前までに採取し、冬の間に雪の中で冷凍保管しながら少しずつ木の加工を始めるそうです。
「丸太の状態から割ったら年輪の厚みで剥がしていくんですよ。大体“ハゼ”1本の厚みが一年分の年輪っていうイメージですね。」


ハゼというのは、木を細長くテープ状に切り出した物。
実際にハゼを作る様子を見せて頂きました。専用の刃物で素早く正確に木を削る様子には思わず見入ってしまいます。

「このハゼの特徴は、片側は平面に削るんですけど、表に来る側は若干かまぼこ型になるように削るんですよ。そうすることで縁が薄くて真ん中が厚みのあるしっかりした材ができるので、カゴにした時の強度が良くなるんです。」
木だから、だけでなく、細かなハゼの構造のお陰で、より耐久性に優れたカゴができるのですね。

カゴ作りができる本数までハゼが作れたらいよいよ編んでいきます。螺旋状に上までぐるぐると編み上げていくのが特徴だそう。使用する場所によって材料も変えているため1つのカゴに約3種類の木が使用されています。
編み終われば「小原かご」の完成!とても可愛い見た目で、おやつを入れたりパンを入れたり、使い方は様々!

小原かごとの出会い。販売するまで
荒井さんは結婚を機に栃木県から滋賀の長浜市に移住されてきました。奥丹生谷にあった小さな村で使われてきた小原かごとはどうやって出会ったのでしょう?

「東京の美術大学出身で、卒業後は長らく北陸で働いていました。働きながら大学院に通っていて、そこで民俗技術っていう、生活に根ざした物作りの技術の研究をしていました。夫が長浜出身なので、長浜で住むのが決まるか決まらないかぐらいの時に、長浜地域の民俗技術はないかなって思ったんです。調べていく中で小原かごのことを知りました。実際引っ越す前に太々野さんという方に会いに行って、引っ越してきてからすぐにカゴ作りの教室に通い始めて今にいたります。」


(提供:荒井木籠製作所)
太々野㓛さん。小原村出身で幼い頃からカゴ作りをされてきました。

「太々野さん自身も幼い頃からカゴ作りをずっとしていましたが、それを仕事としてきた訳ではなかったそうなんです。70代になってから村が無くなるっていうことで、カゴ作りの技術を知る人は居ないか?という話題になり、太々野さんがカゴ作りを再開したんです。」
長年、教室をされてきた太々野さんは、自分の代でこの技術が無くなってしまうのは忍びないと感じ始めていました。「そのころには『誰か後継者はおらんかな』ということも言っていたみたいですよ」と荒井さんは言います。
そうして太々野さんから技術を継承した荒井さんが、小原かごの販売を始めたのは2024年。仕事にされたきっかけは一体?

「作れる方が1人しかいなくて、しかも村も廃村になっていて材料も自分で採取してこないと行けないし。やってみると、物凄く難しかったんですよ。最初の頃は材料1本削るのに3時間かかったりとか(笑)こんなのとてもじゃないけど仕事にはできないと思っていて…」

「ただ、恐らく数年すると無くなってしまう技術だから、きちんと記録を取ってこの地域にこういう技術があったっていうことを記録に残そうと思ってずっと通い続けてたんです。」
師匠の太々野さんもお話好きな方で、通うのが楽しかったという荒井さん。
「月に1.2回のペースでずっと通い続けていると、流石に上手になってきて(笑)
5年たった頃には結構作れるようになっていて。そうなってきた時に、太々野さんが『もうそろそろ販売せんのか?』って仰ったんです。」

「太々野さんが材料採取地を教えてくれるようになり、いよいよこれはちゃんと仕事としてやるようにした方がいいのかな、と感じるようになった」と話す荒井さん。
それまでは頼まれた時や、プレゼント用に作るくらいだったそうですが、仕事にする覚悟を決めて以来、小原かごの職人として、WEBサイトやイベントなどで販売をされています。

耐久性もあり水にも強い、奥丹生谷の伝統、小原かご。受け継がれる手編みカゴの魅力はもちろんのこと、山の環境までも同時に考えていく荒井さんの姿は素晴らしく輝いて見えました。
様々な用途で使用できる「小原かご」。その手に取って、一から手で作られている技術を感じてみてはいかがでしょうか?